御由緒

御神徳

八幡信仰とは、大分県宇佐市の御許山(おもとやま)における磐座(いわくら)信仰に、応神天皇を神、神功皇后を神母とする崇拝が加わり、更に早くより宇佐地方に伝来していた仏教と習合した、我々日本人に最も染み渡った信仰であるといっても過言ではありません。

「八幡さん」は全国神社約11万社の内4万余社と、その数は「お稲荷さん」や「天神さん」を上回ります。又武将として優れた人物を輩出した清和源氏(源義家八幡太郎、為義、頼朝等)が氏神とした事で武神としての崇敬を集めるに至り、やがてそれは未曽有の国難「元寇(蒙古襲来)」における神国・護国意識の高揚により益々発展しました。八幡神は武神という性格上、厄除、邪気祓、勝運、必勝等の御利益があり、更に氏神としての広大無辺なる御神威により私達をお守り下さっています。

御由緒

御神徳

「摂州丹生山田六條八幡之縁起」によれば、当八幡宮は往古神功皇后が三韓征伐(新羅征伐)に向かう途上、「我が山の丹土で舟、兵具を塗り、軍衣を染め、丹浪(海水を掻き回して赤く濁らせる)を以て出陣すれば勝利疑いなし」という丹生都比売命の御神託により、斎戒沐浴して丹生都比売命を氏神と仰ぐ丹生氏族より丹土を授かるために営んだ行宮址と伝えられています。
― 当宮の西方に聳える丹生(たんじょう)山頂に丹生都比売命をお祀りする丹生(たんじょう)神社が鎮座しています ―
時を経て平安時代の中期、一条天皇の御代長徳元年(995)、周防国(現山口県)の神仏習合の行者で、弘法大師の弟子である基燈法師が各地を巡錫(じゅんしゃく)し、当地に至り、神功皇后行宮址を応神天皇が修営された霊地である事を夢想の霊告に感じ、黒木の宝殿一宇(若宮八幡宮)を建立されました。
更に時代は下り、鳥羽天皇の御代保安4年(1123)に丹生山田庄の領主であった六條判官源為義が、京の都六条左女牛※(醒ヶ井)の自邸に祀る左女牛八幡大神を勧請合祀し、古(いにしえ)の若宮八幡宮を再造しました。これにより御神威は愈々増し、為義の称号をとって「六條八幡宮」と呼ばれるようになりました。
この邸内社は現在「陶器神社」の通称で有名な京都市東山区の五条坂に鎮座する若宮八幡宮です。(現社地へ遷座されたのは江戸時代です)
その後文正元年(1466)に三重塔が建立され、室町中期の優雅な姿を今に伝えています。

※左女牛は「左女牛井」(さめがい)で、源頼義がこの地に築いた源氏六條堀川邸にあった井戸。京三名水の一つ。

境内末社

  • 稲荷神社 宇賀魂命
  • 住吉神社 住吉三神・神功皇后
  • 山王神社 大山祗命
  • 大歳神社 大歳神・高良大神
  • 猿田彦神社 猿田彦大神